忠頼忌

忠頼は甲斐源氏武田信義の嫡男にで “一條の祖” です。源平の合戦が始まって4年後の元暦元年(1184)6月16日、「世を濫すの志を挿むの由、其の聞え有り」との讒言により、鎌倉で誅殺されています。

全体
2021年12月8日 一條源八時信公(当山開基)の700年遠忌に際し建立開眼供養を執り行った供養塔。右が時信公、左正面に並んでいるのが忠頼夫妻。

当山では2021年、その夫人と供に供養塔を建立し、毎年6月16日を《忠頼忌》と定め、慰霊供養を行っています。

多くの方のご参列を願っています。一緒にご供養いたしましょう

 

右が忠頼公、左が令夫人
右が忠頼公、左が令夫人。本堂を見守っています。